●マヤ文明探訪-メキシコ9日間-(8/24-9/01) 2006.9/02遊悠人
http://www.janal.co.jp/asian-walker.html今回は念願の中米メキシコに入ります。昨年この時期は米国グランドサークルを巡っていましたが、
その続きとなります。オルメカ、アステカ、そしてマヤなどの世界遺産6ケ所が舞台です。
そこには数々の不思議な遺跡群と宇宙人との繋がりを大いに感じさせてくれるものでした。
8/24(木)DL96便15:30発は夏休みということもあり満員です。12時間のフライトでアトランタへ、
そこで一度米国に入国手続きをしなければなりません。接続待ちが約4.5時間ありこれが少々
つらいところ。
さらにデルタ251便で3時間、やっとメキシコシテイです。到着は22時を回りホテルへ直行します。
8/25(金)今日はチャーターした10人乗りのバン貸切りで、日本語のガイドを頼んであります。
まず、人類学博物館へ。ここにはメキシコのほぼすべての文明が部屋ごとに展示されています。
今回はパレンケの碑文の神殿から発見されたパカル王の石棺の蓋(一枚岩で重さ5t)に描かれた
レリーフを見に来たのです。ただしそれはレプリカなのですが、本物はかの神殿の中にあり、
現在入室禁止で見ることができません。なんとそこにはマヤの神官が宇宙船を操縦している
かのようなレリーフが彫られているのです。しかもこれは7世紀の頃の話です。またヒスイの面や
太陽の石「アステカ・カレンダー」があります。
その後、ソカロ広場のメトロポリタン・カテドラルやグアダルーペ寺院に寄りテイオテイワカン遺跡へ。現在、中央の
レフォルマ通りやソカロ広場周辺は選挙を巡り、反大統領派による抗議デモで交通不能となっています。
テオテイワカン遺跡 紀元前2世紀頃アステカ人によって建造されたメキシコ最大の宗教都市国家。
4~7世紀を頂点に繁栄し、8世紀頃謎の滅亡を遂げる。
太陽のピラミッド エジプトのクフ、カフラーに次ぐ世界で3番目に大きいピラミッドであるが、あまりに
平べったく私にはダムの一部のようにしか見えませんでした。
月のピラミッド 大きな宗教儀礼はすべてこちらで行われていたようです。
死者の道 月のピラミッドからほぼ南に広く長く続いており、その両側には太陽のピラミッドや
ケツアルコアトルの神殿などが並んでいます。
夕刻は市内レストラン(フォンダ・デ・レクエルド)で民族音楽を聴きながらメキシコ料理を食べる。
レストランは子供づれが多いにもかかわらず、とても騒々しく賑やかである。毎夜雨が降り、高地のせい
(2500m)で結構寒いものでした。
8/26(土)5時半ホテル発、7:40アエロメヒコ航空でタバスコ州都ビジャエルモサへ。1.5時間。180人乗りに
1/3程の搭乗率。日本人はいない。途中、雪を被ったコニーデ型の火山が見えたが、5699mのオリサバ山
と思われる。
11人乗りのバンで迎えてくれたのは33歳ほどのドライバー兼ガイドのガブリエル。にこやかなメスチゾ
(スペイン人とマヤの混血)だ。ここからは英語とスペイン語での案内となります。熱帯特有のヤシの木とこの
あたり一帯は湿原地帯。
まず、ラ・ベンタ野外博物館へ、ここはオルメカの巨石人頭像が数体ある。顔はアフリカ系ネグロ
のよう。
高さ2m、重量は20トンもある。これらは紀元前1200~400年にかけて造られたといわれます。アステカ
はメキシコでは最も古い文明であり、後のマヤ文明に大きな影響を与えています。
その後2時間でマヤのパレンケ遺跡に入る。ここはパカル王を頂点とするマヤ文明の一大中心地
で、ここから東へウシュマル、チチェン・イツァーへと拡がっていく。広大な城を思わせる遺跡群、
緑の芝が眩しく、きれいに整理されている。「頭骸骨の神殿」、そしてパカル王の墓室のある
「碑文の神殿」(かの宇宙船のような石蓋がある、4層からなる「宮殿」、「太陽の神殿」、
「十字架の神殿」と続く。天井部はマヤ独特のアーチ構造をとっている。
8/27(日)8:00発、パレンケからざっと5時間近く走ります。周りはずっと牧場が続きます。思った
よりきれいに整備されており、ジャングルのイメージは全くありません。田も畑もほとんど見かけない
真っ直ぐな道。
突如現れるメキシコ湾の強烈なエメラルドグリーン。ペリカンがいっぱい泳いでいます。ほどなくカンペチェへ
到着。
カンペチェ:メキシコ湾を望むスペインによって最初に造られた要塞都市。町は全長2.5kmの城壁と7つの
砦に囲まれ、ソカロを中心にコロニアルな美しい街並が続いている。ここも世界遺産である。
夕刻になると日曜のため広場で歌や着飾った子供たちの踊りが繰り広げられ、週末はとても
賑やかです。
夕食は広場に面したレストランで。予算は通常一人ビール込みで100ペソ前後(1200円)のようです。
8/28(月)まずカバー遺跡:chaccと呼ばれる雨の神が壁一面に施された仮面の神殿ととても広い
芝生の緑が印象的。ウシュマルまで12km続く街道のアーチ門が崩れず残っている。次いでウシュマルへ。
ウシュマル遺跡:独特の丸みをもった「魔法使いのピラミッド」はまるで小人たちが住んでいるか
のよう。
尼僧院や総督の宮殿など、マヤ独特のプーク式建築とおびただしいチャック神、蛇神ククルカン
もここから現れる。他にグラン・ピラミッド、鳩の家、亀の家、そしてたくさんのイグアナに驚かされる。
ここからメリダまで1.5時間。かつて黄熱病の研究で滞在した野口英世の銅像が残っている
オーラン病院に寄りホテルへ。いつもながらまずはプールでひと泳ぎして街へ。オープン・レストランで食事
をしているとなにやらパレードがやってきた。地元メリダの野球チ-ムが優勝したのだそうな。ソカロ
では今日もフェスティバルで騒いでいる。
8/29(火)今日はマヤ最大の遺跡、チチェン・イツァーへ。
ここはユカタンにおける最大の都で、宗教、芸術、経済の中心だった。中央の「ククルカン神殿」
(エル・カスティージョ)は四方に91段の階段を持つピラミッドである。91段×4面+1(屋上)で365日を
表す。春分・秋分には影がいかにもククルカンが降臨したように現れる仕掛けとなっている。内側に
小さな神殿が内包し(入室不可)、チャック・モールとヒスイの目を持つジャガー像があるという。隣の
「戦士の神殿」は石柱群に取り囲まれ、上段には生贄の心臓をおいたチャック・モールが虚空を
見つめている。
他に「カラコル」と呼ばれるドーム型の天文台や球戯場(サッカーのような競技が行われ、勝者は心臓を
抉り取られ、チャック・モールに祭られた)がある。ここにもたくさんのイグアナが。
そして、最後に聖なる泉セノテへ。石灰岩の大地にポッカリと空いた丸い穴、静かに湛えた緑の水。
雨乞いや疫病が流行すると生贄や財宝が投げ入れられたという。
ビュッフェの昼食後、カンクンに
向かう。途中、まさにバケツをひっくり返したようなスコール。また回りの木々は昨年10月の
ハリケーン「ウィルマ」にやられ、立ち枯れが目だつ。相当すごいハリケーンだったようだ。
カンクン:カリブ海最大のリゾートである。砂州の上に名だたるホテルがズラリと並ぶ様は壮観。
たとえればゴールドコーストのよう。カリブの海はとても穏やかで、その色はとても美しいカリビアン・ブルー。
ただやはり昨年のハリケーンの影響で修理中のホテルが目立つ。
今晩のホテルはベッドが5ツもある広い部屋。すぐ目の前はビーチ。フロントにバッグを忘れ、あわてて
引き返す。
ここでガイドのガブリエルとお別れ。彼は自宅のあるメリダに戻っていった。
8/30(水)午前中はプールでくつろぐ。
午後、カンクン空港からデルタ便でアトランタへ。乗り継ぎのため1泊するのだ。機中でカンクン空港の
チェックイン時、アトランタから成田へのチケットを返してもらわないのに気付く。Eチケットなので特に
問題にはならかったが、なんという失態。
アトランタ空港はデルタの拠点だけあってさすがに広いが、荷物の受取等初めてだと非常に
わかりずらい。
またデルタの職員もサービスレベルが低いようだ。頭にくることしきり。自分がグローバル・スタンダード
と思っているアメリカ人は始末に悪い。
8/31(木)昨夜は強力なカミナリが近くに落ち、ホテルは5時間ほど停電。今日の出発がどうなる
ことかと思ったが、空港は問題なくホッとする。ホテルのシャトルバスで空港へ。チェックインも思った
よりスムーズに済んだ。
13.5時間かけ成田へ帰着。今回は特に辛苦了! 総予算33万円程。
感想
1.メキシコ人はとても親日的(sinpatico)
2.ユカタン地域は想像してた深いジャングルではなく、牧場やコーン 畑などに区画・整理され利用
されている。またほとんどフラットな地域で山がない。
3.果物・ビールはとてもおいしかったが、料理はイマイチ。
4.英語はあまり通じない。
5.ユカタン地域は雨が多いにもかかわらず、カルスト(石灰質台)
のため、ほとんど水が地中に
滲みこんでしまい、あれだけ多くの雨神chaccを祭ったようだ。 そのため地下には膨大な地下水が
貯まっていると想像する。
ただ古代のエジプトや北アフリカとは対照的に、緑豊かだった広 大な地域が砂漠化し、人口の
集中化=文明の発達が興らなかった。(砂漠化は川の周囲に人を 集中させ、文明が起こる一
大条件である) よって多くの遺跡が広い地域にバラバラと点在 している。
6.マヤの遺跡はいろんな文明とのつながりを考えさせられる。エジ プトのピラミッドとのつながり
はあまり感じなかったが、むしろカンボジアやバリなどアジアとの 共通点を感じてしまう。
やはりアジアからアメリカへモンゴロイドが渡っていった結果なのか?そ れならもっとUSAから遺跡が
発見されてもいいのだが。
7.オルメカの人頭はなぜアフリカ系なのか、チャック神の鼻はなぜアメリカにはい ないはずの象のようなの
か、パレンケの石棺の蓋のロケットを操縦してるかのようなレリーフ は?すぐれた数学や天文学、
建築の知識はどこからきたのか、などなど、不思議ながいっぱ い。
来年は再びスペインか東ヨーロッパに向かいたい。