戦士の神殿旅行記

1989年メキシコ旅行5,世界文化遺産・チチェン・イツァー遺跡を歩く。(by 堀昭夫さん)

戦士の神殿
4月27日(木)メリダをバスで出発、マヤ遺跡チチェン・イツァーへ向かう。
同じバスに日本人カップルが乗っていたので、一緒に見学する事にした。
この遺跡もウシュマル同様、密林(小高い木)の中にある。
エル・カスティージョ、戦士の神殿、セノテなどを観て回り、私はカラコル(天文観測台)や尼僧院にも行きたかったのだが、カップルが2人共疲れてイヤだと抜かすので、結局行かなかった。
これだからグループ行動は困るのだが、この時は初めての海外と言う事で諦めた。
それでは、とナイトショーを観ようと待っていたら、小学生達のグループに出会う。
さっそくプレゼント用のポストカードを配った。
この時お返しに少女からもらった小石の飾りは、今でも大事に棚に閉まってある。
こんな交流も旅の楽しみになってくれるようだ。
遺跡見学後、カップルと一緒にカンクンへ行き1泊する。
近くの町迄タクシーで行き、何とかローカルバスに乗る事が出来た。
ーチチェン・イツァー遺跡は、メリダから東へ120kmにある古代マヤ文明の遺跡。
マヤ語で「泉のほとりの水の魔術師」を意味するそうだ。
この名の由来は、ユカタン半島最大の<聖なる泉>セノテがある事からきているらしい。
10世紀に侵入してきたトルテカ族(メキシコ高原一帯に勢力を持ち、トゥーラを築いた民族)の文明とそれ以前のマヤ文明、双方の影響を受けていると聞く。ー
<花のクローズアップ写真は、
  • http://akio-h.blog.ocn.ne.jp/blog/
  • に展示中です。私の個展案内、新聞記事なども展示していますのでこちらも御覧下さい。>

    【旅行時期】1989/04/27~1989/04/27
    【エリア】チェチェンイッツア
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】堀昭夫

    海に沈められたチャック・モール(by munecaさん)

    戦士の神殿
    チャンカナブ国立公園の水中に沈んでたレプリカのチャック・モールが台風Willmaの災害で破損してから、3年経ちます。(チェック・モールのオリジナルはチチェンイッツァの戦士の神殿にあります。生け贄の心臓を捧げた像です)日本人ダイバーの中には、「チャック・モールがあるからこそ、メキシコの海らしくて良かったのに!」と、楽しみにしてた人も少なくなかったです。そして、1ヶ月前に新しいレプリカのチャックさんが水中に沈められました。少し前にはミサを終えたマリア像も水中に入り、これでチャンカナブ公園のビーチダイビングはますます見ごたえのある内容になりました。チャンカナブで潜る人は、生け贄にならないよう、気をつけて下さい!

    【旅行時期】2008/11/10~2008/12/31
    【エリア】コスメル
    【テーマ】ダイビング
    【投稿者】muneca

    マヤ遺跡の不思議を巡る(by 遊悠人さん)

    戦士の神殿
    ●マヤ文明探訪-メキシコ9日間-(8/24-9/01) 2006.9/02遊悠人


  • http://www.janal.co.jp/asian-walker.html


  • 今回は念願の中米メキシコに入ります。昨年この時期は米国グランドサークルを巡っていましたが、
    その続きとなります。オルメカ、アステカ、そしてマヤなどの世界遺産6ケ所が舞台です。
    そこには数々の不思議な遺跡群と宇宙人との繋がりを大いに感じさせてくれるものでした。

    8/24(木)DL96便15:30発は夏休みということもあり満員です。12時間のフライトでアトランタへ、
    そこで一度米国に入国手続きをしなければなりません。接続待ちが約4.5時間ありこれが少々
    つらいところ。
    さらにデルタ251便で3時間、やっとメキシコシテイです。到着は22時を回りホテルへ直行します。
    8/25(金)今日はチャーターした10人乗りのバン貸切りで、日本語のガイドを頼んであります。
     まず、人類学博物館へ。ここにはメキシコのほぼすべての文明が部屋ごとに展示されています。
    今回はパレンケの碑文の神殿から発見されたパカル王の石棺の蓋(一枚岩で重さ5t)に描かれた
    レリーフを見に来たのです。ただしそれはレプリカなのですが、本物はかの神殿の中にあり、
    現在入室禁止で見ることができません。なんとそこにはマヤの神官が宇宙船を操縦している
    かのようなレリーフが彫られているのです。しかもこれは7世紀の頃の話です。またヒスイの面や
    太陽の石「アステカ・カレンダー」があります。
     その後、ソカロ広場のメトロポリタン・カテドラルやグアダルーペ寺院に寄りテイオテイワカン遺跡へ。現在、中央の
    レフォルマ通りやソカロ広場周辺は選挙を巡り、反大統領派による抗議デモで交通不能となっています。
    テオテイワカン遺跡 紀元前2世紀頃アステカ人によって建造されたメキシコ最大の宗教都市国家。
    4~7世紀を頂点に繁栄し、8世紀頃謎の滅亡を遂げる。
     太陽のピラミッド エジプトのクフ、カフラーに次ぐ世界で3番目に大きいピラミッドであるが、あまりに
    平べったく私にはダムの一部のようにしか見えませんでした。
     月のピラミッド 大きな宗教儀礼はすべてこちらで行われていたようです。
     死者の道 月のピラミッドからほぼ南に広く長く続いており、その両側には太陽のピラミッドや
    ケツアルコアトルの神殿などが並んでいます。
    夕刻は市内レストラン(フォンダ・デ・レクエルド)で民族音楽を聴きながらメキシコ料理を食べる。
    レストランは子供づれが多いにもかかわらず、とても騒々しく賑やかである。毎夜雨が降り、高地のせい
    (2500m)で結構寒いものでした。

    8/26(土)5時半ホテル発、7:40アエロメヒコ航空でタバスコ州都ビジャエルモサへ。1.5時間。180人乗りに
    1/3程の搭乗率。日本人はいない。途中、雪を被ったコニーデ型の火山が見えたが、5699mのオリサバ山
    と思われる。
    11人乗りのバンで迎えてくれたのは33歳ほどのドライバー兼ガイドのガブリエル。にこやかなメスチゾ
    (スペイン人とマヤの混血)だ。ここからは英語とスペイン語での案内となります。熱帯特有のヤシの木とこの
    あたり一帯は湿原地帯。
    まず、ラ・ベンタ野外博物館へ、ここはオルメカの巨石人頭像が数体ある。顔はアフリカ系ネグロ
    のよう。
    高さ2m、重量は20トンもある。これらは紀元前1200~400年にかけて造られたといわれます。アステカ
    はメキシコでは最も古い文明であり、後のマヤ文明に大きな影響を与えています。
     
    その後2時間でマヤのパレンケ遺跡に入る。ここはパカル王を頂点とするマヤ文明の一大中心地
    で、ここから東へウシュマル、チチェン・イツァーへと拡がっていく。広大な城を思わせる遺跡群、
    緑の芝が眩しく、きれいに整理されている。「頭骸骨の神殿」、そしてパカル王の墓室のある
    「碑文の神殿」(かの宇宙船のような石蓋がある、4層からなる「宮殿」、「太陽の神殿」、
    「十字架の神殿」と続く。天井部はマヤ独特のアーチ構造をとっている。

    8/27(日)8:00発、パレンケからざっと5時間近く走ります。周りはずっと牧場が続きます。思った
    よりきれいに整備されており、ジャングルのイメージは全くありません。田も畑もほとんど見かけない
    真っ直ぐな道。
    突如現れるメキシコ湾の強烈なエメラルドグリーン。ペリカンがいっぱい泳いでいます。ほどなくカンペチェへ
    到着。
    カンペチェ:メキシコ湾を望むスペインによって最初に造られた要塞都市。町は全長2.5kmの城壁と7つの
    砦に囲まれ、ソカロを中心にコロニアルな美しい街並が続いている。ここも世界遺産である。
     夕刻になると日曜のため広場で歌や着飾った子供たちの踊りが繰り広げられ、週末はとても
    賑やかです。
     夕食は広場に面したレストランで。予算は通常一人ビール込みで100ペソ前後(1200円)のようです。
    8/28(月)まずカバー遺跡:chaccと呼ばれる雨の神が壁一面に施された仮面の神殿ととても広い
    芝生の緑が印象的。ウシュマルまで12km続く街道のアーチ門が崩れず残っている。次いでウシュマルへ。
    ウシュマル遺跡:独特の丸みをもった「魔法使いのピラミッド」はまるで小人たちが住んでいるか
    のよう。
     尼僧院や総督の宮殿など、マヤ独特のプーク式建築とおびただしいチャック神、蛇神ククルカン
    もここから現れる。他にグラン・ピラミッド、鳩の家、亀の家、そしてたくさんのイグアナに驚かされる。
     ここからメリダまで1.5時間。かつて黄熱病の研究で滞在した野口英世の銅像が残っている
    オーラン病院に寄りホテルへ。いつもながらまずはプールでひと泳ぎして街へ。オープン・レストランで食事
    をしているとなにやらパレードがやってきた。地元メリダの野球チ-ムが優勝したのだそうな。ソカロ
    では今日もフェスティバルで騒いでいる。

    8/29(火)今日はマヤ最大の遺跡、チチェン・イツァーへ。

     ここはユカタンにおける最大の都で、宗教、芸術、経済の中心だった。中央の「ククルカン神殿」
    (エル・カスティージョ)は四方に91段の階段を持つピラミッドである。91段×4面+1(屋上)で365日を
    表す。春分・秋分には影がいかにもククルカンが降臨したように現れる仕掛けとなっている。内側に
    小さな神殿が内包し(入室不可)、チャック・モールとヒスイの目を持つジャガー像があるという。隣の
    「戦士の神殿」は石柱群に取り囲まれ、上段には生贄の心臓をおいたチャック・モールが虚空を
    見つめている。
    他に「カラコル」と呼ばれるドーム型の天文台や球戯場(サッカーのような競技が行われ、勝者は心臓を
    抉り取られ、チャック・モールに祭られた)がある。ここにもたくさんのイグアナが。
    そして、最後に聖なる泉セノテへ。石灰岩の大地にポッカリと空いた丸い穴、静かに湛えた緑の水。
    雨乞いや疫病が流行すると生贄や財宝が投げ入れられたという。
    ビュッフェの昼食後、カンクンに
    向かう。途中、まさにバケツをひっくり返したようなスコール。また回りの木々は昨年10月の
    ハリケーン「ウィルマ」にやられ、立ち枯れが目だつ。相当すごいハリケーンだったようだ。
    カンクン:カリブ海最大のリゾートである。砂州の上に名だたるホテルがズラリと並ぶ様は壮観。
    たとえればゴールドコーストのよう。カリブの海はとても穏やかで、その色はとても美しいカリビアン・ブルー。
    ただやはり昨年のハリケーンの影響で修理中のホテルが目立つ。
     今晩のホテルはベッドが5ツもある広い部屋。すぐ目の前はビーチ。フロントにバッグを忘れ、あわてて
    引き返す。
     ここでガイドのガブリエルとお別れ。彼は自宅のあるメリダに戻っていった。
    8/30(水)午前中はプールでくつろぐ。
     午後、カンクン空港からデルタ便でアトランタへ。乗り継ぎのため1泊するのだ。機中でカンクン空港の
    チェックイン時、アトランタから成田へのチケットを返してもらわないのに気付く。Eチケットなので特に
    問題にはならかったが、なんという失態。
     アトランタ空港はデルタの拠点だけあってさすがに広いが、荷物の受取等初めてだと非常に
    わかりずらい。
    またデルタの職員もサービスレベルが低いようだ。頭にくることしきり。自分がグローバル・スタンダード
    と思っているアメリカ人は始末に悪い。

    8/31(木)昨夜は強力なカミナリが近くに落ち、ホテルは5時間ほど停電。今日の出発がどうなる
    ことかと思ったが、空港は問題なくホッとする。ホテルのシャトルバスで空港へ。チェックインも思った
    よりスムーズに済んだ。
    13.5時間かけ成田へ帰着。今回は特に辛苦了! 総予算33万円程。

    感想
    1.メキシコ人はとても親日的(sinpatico)
    2.ユカタン地域は想像してた深いジャングルではなく、牧場やコーン 畑などに区画・整理され利用
     されている。またほとんどフラットな地域で山がない。
    3.果物・ビールはとてもおいしかったが、料理はイマイチ。
    4.英語はあまり通じない。
    5.ユカタン地域は雨が多いにもかかわらず、カルスト(石灰質台)
     のため、ほとんど水が地中に
     滲みこんでしまい、あれだけ多くの雨神chaccを祭ったようだ。 そのため地下には膨大な地下水が
     貯まっていると想像する。
     ただ古代のエジプトや北アフリカとは対照的に、緑豊かだった広 大な地域が砂漠化し、人口の
     集中化=文明の発達が興らなかった。(砂漠化は川の周囲に人を 集中させ、文明が起こる一
     大条件である) よって多くの遺跡が広い地域にバラバラと点在 している。
    6.マヤの遺跡はいろんな文明とのつながりを考えさせられる。エジ プトのピラミッドとのつながり
     はあまり感じなかったが、むしろカンボジアやバリなどアジアとの 共通点を感じてしまう。
     やはりアジアからアメリカへモンゴロイドが渡っていった結果なのか?そ れならもっとUSAから遺跡が
     発見されてもいいのだが。
    7.オルメカの人頭はなぜアフリカ系なのか、チャック神の鼻はなぜアメリカにはい ないはずの象のようなの
     か、パレンケの石棺の蓋のロケットを操縦してるかのようなレリーフ  は?すぐれた数学や天文学、
     建築の知識はどこからきたのか、などなど、不思議ながいっぱ い。

    来年は再びスペインか東ヨーロッパに向かいたい。

    【旅行時期】2006/08/24~2006/09/01
    【エリア】メキシコ
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】遊悠人

    陽光がサボテンにふりそそぐ古代遺跡の国(by 早島 潮さん)

    戦士の神殿
    1998・5・16~5・23



     平成10年5月17日午後5時前に標高2241mのメキシコシティへ到着し、前面がガラス張りのキラキラ光っているクリスタルホテルへ荷物を置くとすぐ黄昏どきの市街へ出た。名物料理のタコスを食べるためにガルバルディー広場にあるレストランへ急いだ。高地だけに肌寒かった。

     街の第一印象はコロニアル様式の古い建物が立ち並んでおり、ヨーロッパ風の街並である。コルテスがアステカ帝国を征服してからスペイン人達が作り上げた街だというのが頷ける。

     タコスはトルティーヤというトウモロコシの粉を練って薄く焼いたパンに野菜や肉をくるんで食べるのだが、サルサと呼ばれる緑色や橙色のソースをつけて食べるとなかなか美味しい。
     飲み物にはマルガリータというテキーラがベースになったカクテルを貰った。とても甘くて口当たりがよい。グラスの回りに塩が塗ってあってこれがまた味を引き立てる。
     舞台ではダンス、投げ縄、タップダンスなど盛り沢山であった。踊り子や楽士達の衣装はこれまたスペイン風であった。ショーが終わると待ちかねていたように、老いも若きも日本人以外の客は、我先にと舞台へ上がりダンスを始めた。彼らには踊りが生活の一部になっているという感じである。ガルバルディー広場は通称マリアッチ広場ともいうらしいが、何組ものマリアッチ(メキシコ独特の楽団)が演奏しており、その周辺には群衆が屯してそれぞれに夏の夜を楽しんでいた。

     翌朝、ホテルを出ると操り人形を持った男がしきりにアミーゴと言いながら近寄ってくる。5ペソほどチップを与えて写真を撮った。

     その広さが24万m2もあるというソカロ広場を通って国立宮殿へ入りリベラ作の大きな壁画の解説を聞いた。壁画には夥しいほど数多くの人物が描かれており、その内容は歴史あり、物語ありで説明がなければ意味も分からずに素通りするところだが、ガイドの説明になるほどと頷くことができた。
     メキシコは1917年に現行憲法が制定されるまで、今世紀初頭に何回もの革命騒動や政変があったが、革命の理念は褐色の原住民の開放を目指したものであったから、この壁画の主題はコルテスを初めとして彼らを不当に搾取した白人達を告発することと、古代アステカ世界を礼賛することにあるという風に理解した。

     三文化広場、サンティアゴ教会を見学してから、グァダルーペ寺院のマリヤ像を物凄い人混みにもまれながら見学した。

     三文化広場のあるところはアステカの時代に商業都市として栄えたところで1521年にアステカ帝国とスペイン軍との最後の戦闘があった場所である。アステカの神殿遺跡、コロニアル様式のサンティアゴ教会、そして外務省をはじめとする近代・現代の高層建築が一ケ所に会しているので三つの時代の文化という意味で三文化広場と称しているのである。

     サンティアゴ教会ではミサをしている所やステンドグラスの単純な模様を見学した。内部の壁に装飾のないすっきりした建物はこれでまたなかなか厳かな感じを与えるものである。

     グァダルーペ寺院の周囲にはメキシコ全土から集まってきた善男善女が着飾って、酷暑の中を汗かきながら行列を作り入場の順番を待っていた。ここはメキシコの聖地であり信者達の熱気がムンムンと立ち込めていた。
     グアダルーペ寺院のマリヤ像についてはメキシコ人なら誰でも知っている次のような奇跡が伝えられている。

     コルテスに征服されて10年後の1531年、ホアン・ディエゴという農民が、当時のメヒコ市の司教スマラガの所へ息せき切って駆けつけて来て言うには市の郊外のテペヤックの丘にマリヤが現れて「ここに教会を建てて欲しい。自分がそう言った証拠としてそこに咲いているバラの花を摘み、着ている正装用のマントに包んで司教の所へ持って行きなさい」と言ったというのである。司教がマントを拡げてみると、そこにこのマリア像が写っておりそれ以来、聖母像がメキシコ人の信仰の中心になりこの寺院が聖地になったのである。

     ティオティワカン遺跡へ向かう途中、メキシコ人の土産物店で主人から龍舌蘭の葉を教材として使いながらの説明を聞いたがなかなか面白かった。サボテンの一種であるこの龍舌蘭からは繊維、紙、テキーラ、医薬品、化粧品等沢山の製品がとれて貴重な植物である。バスで移動するときにも、しばしばこの龍舌蘭の畑を目撃した。まさしくメキシコは太陽とサボテンの国である。窓から差し込んでくる日差しも心なしか陽気で力強く感じられる。

     ティオティワカンはメキシコシティーの北東50kmにある巨大な宗教都市の遺跡である。紀元前2世紀頃から6世紀頃にかけて発展し、8世紀に滅んだと考えられている。ティオティワカンとは人間が神に変わる場所という意味で、王はこの地に埋葬された後、神に生まれ変わると信じられていた。

     この遺跡にある「太陽のピラミッド」は高さ65m、底辺1辺225m、容積約100万m3もある巨大なもので太陽が正面に沈むように設計されている。このピラミッドの階段を手すりに掴まりながら頂上まで登ると緑に包まれた広大な遺跡を一望できて古代のロマンに暫し思いを馳せた。

     翌日はメキシコシティー空港よりユカタン半島のメリダ空港へ飛んで、マヤ遺跡へ向かう途中マヤ人の市場へ立ち寄って彼等の生活状況を観察した。月15ꯠ円~20ꯠ円が収入だという。中産階級の下限の年収が1ꯠ ドルだといい彼らは今なお下積みの生活に耐えている。

     サンタエレナ村のマヤ人の農家マリヤさんの自宅を訪問し見学した。よく太ったこの家の主婦マリヤさんが自らトルティーヤを焼いて振る舞って下さった。広い赤土の敷地は草一本生えていないほどよく手入れされており、屋内も清掃が行き届いていて、いかにも清潔好きな主の人柄を見る思いであった。椰子の葉の涼しげな天井と部屋の中には家具らしいものは殆どなかったのが印象的であった。湿度の高い熱帯地方の風土によくあった生活の形式であると感心して見ていた。また庭には幾つもの檻が置いてあり、孔雀、梟、オウム、九官鳥その他の小鳥が十数種類も飼われていた。彼らは古代マヤ文明を作りだした誇り高きユカタン人でありまたマヤ人の末裔でもあって、今も農業を営んでいるのである。

     メリダから約80kmの所にウシュマル遺跡がある。この遺跡はマヤ文明古典期後期の宗教遺跡で壁面にはプーク(台座や壁面を神像などできらびやかに飾りたてる建築様式)と呼ばれる美しい浮き彫りが残されており、マヤ独特の建築様式の最高傑作といわれている。

     「魔法使いのピラミッド」や「尼僧院」と呼ばれる建物群、「総督の家」が残されていて、これらの建物の外壁には象の鼻のように長い鼻に特徴のあるチャック神像(雨の神)や蛇の形をしたククルカン像やその他の動物像等が浮き彫りされている。「球技場」も残されていて建物の内壁には円形の穴のあいた石造りの突起物が取り付けてあり球技用のゴールではないかと考えられている。そして、ここにある建物には鋭角のアーチ型の石組が多く使われており、重量物を支えるには力学的にも最も効果的な構造であり、彼らの建築技術が優れていたことを証明している。

     ウシュマル遺跡から20km程離れたカバー遺跡も見学した。ここには、「コズ・ポープ」と呼ばれる神殿が残されておりその壁面には表情豊かなチャック神のマスクが多数浮き彫りされており、保存状態のよいものが沢山残っていた。古代マヤ人が雨という天の恵みを如何に大切に扱っていたかが窺われる。

     メリダから西へ約120km行ったところに、チチェンイッッア遺跡がある。この遺跡は古典期後期(600年~900年)頃マヤの宗教センターとして栄えた所である。900年頃メキシコ中央高原に文明を持っていたトルテカ民族がここへ進出した。彼らは羽を持つ蛇ククルカンを神として崇めたが、チチェンイッツアを征服してからもマヤ文明を容認しマヤ的なものとトルテカ的なものを融合した。

     チチェンイッッア遺跡ではカスティーヨ(ククルカンのピラミッド)、戦士の神殿、球技場、生贄の泉、カラコル(天文台)を見学した。ここでの最大の見物は高さ30mの建造物カスティーヨである。春分の日、秋分の日にはピラミッドの影が中央階段にさし、蛇の彫刻に羽が生えたように見えるというのである。実に壮大な仕掛けである。そしてこのピラミッドの内部にはもう一つ小さいピラミッドが収められていて、小さなピラミッドの頂上には赤いジャガーの像と生贄の心臓を置くチャック・モール像が置かれている。
     そして、球技場で競技をする戦士達は神に捧げられる名誉の生贄となることを競うのであるという。また生贄の泉(セノーテ)は雨乞いをするために捧げられた生贄を投げ込むための泉であったという。また生贄の頭蓋骨を安置したツオンパトリも残されている。 古代マヤ人やトルテカ人の死生観、宗教観の一端を垣間見た気がした。

     トゥルムの遺跡は国際的なリゾート地カンクンに近い海岸線に残されている遺跡である。紺碧のカリブ海の海浜にあるこの遺跡にくると何かしらほっとした気持ちになる。チチェンイッツアで生贄の祭壇とか髑髏の彫り物などを見て、古代人の宗教観の凄まじさに多少辟易しかけてきていただけに美しい自然の光景が心を安らかにしてくれる。この両遺跡は規模も小さくカスティーヨが残されているが、これはカリブ海とのコントラストで風景画の中の一点景と捉えた方が観光客には面白い。

     遺跡巡りの最後にカリブ海の入江シェルハへ立ち寄り、水着に着替えて紺碧のカリブ海の水と戯れた。アメリカやヨーロッパからの観光客がシュノーケルをつけて海底の珊瑚や魚を観察したり、浜辺の椰子の木の下の白浜で背中の甲羅干しをしたりしながら余暇を楽しんでいた。

     カンクンではイスラム・ヘーレス島へ船で渡り、潜水艦に乗ってカリブ海の海底を観察した。珊瑚礁の間を回遊する金色や青色や緑色の魚の群舞を見ているとさながら、浮世のことを忘れて龍宮城に遊ぶ浦島太郎の心境になっていた。

     メキシコシティー市内へ近づくと、近郊の山の斜面に夥しい数の粗末な建物が無秩序に軒を並べている。これはトルコのイスタンブールやアルゼンチンのブエノスアイレス近郊でも目撃したことであるが、田舎にいた原住民達が生活に窮したり、差別にあったりして都会地へ集まり国有地の山に不法に住みついたものであるという。原住民と征服民との力関係が後世に及ぼす影響を物語っているといえるのではなかろうか。

     今回の旅行は古代遺跡漬けの毎日であったが、人間の原点に立ち戻って暫し古代人の宗教観や死生観に思いを致したことは、老後の心豊かな生活を目指している私にとって大いに参考になったと思っている。



    【旅行時期】1998/05/16~1998/05/23
    【エリア】メキシコ
    【テーマ】
    【投稿者】早島 潮

    44.Mexico チェチェンイッツア [メキシコ編Part1](by ぶえのすこじこじさん)

    戦士の神殿
    メリダを起点にチェチェンイッツアの大遺跡を廻りました。バスで行くと安いです。チェチェンイッツアの遺跡は木陰があまりないので暑いです。エルカスティージョ(ククルカン神殿)は僕は大丈夫でしたが、みんな登り降りに足がすくんでいました。確かに階段は急です。頂上からは遺跡の位置関係とジャングルが一望できます。エルカスティージョは中にも入れるので必見です。中には、チャックモールや赤いジャガー像が置かれています。残念ながら、チャックモールが外に置かれている戦士の神殿の方はロープが張られており登れませんでした。チェチェンイッツアは芝生と遺跡のコントラストが綺麗です。

    【旅行時期】2001/04/~2001/05/
    【エリア】チェチェンイッツア
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】ぶえのすこじこじ

    戦士の神殿の画像

    戦士の神殿画像